2016年04月08日
広告媒体の変化
2015年09月19日
やめていくパターン
2015年09月09日
「何でも屋」
2011年07月16日
塾のあるべき姿
良い出会いがあればと願いつつ、日々授業を必死に頑張っている。当たり前のことだが、この商売は生徒の満足が得られるようにやっていくしかない。見返りは後からついてくるものである。先ずは生徒の満足、成績を上げることである。やがてこれがクチコミとなってまた新たな集客につながる。これはどんなに広告にお金をかけるよりも大きな効果が得られるものである。クチコミで集客出来るようになれば一人前の店に成長したことになる。
地道に生徒の満足を追い求めるしかないのである。「楽をしようとか楽に儲けよう」と思った瞬間に塾は傾いていく。これを肝に銘じて頑張るしかない。絶対にそれしかないのだ!
2011年05月24日
120%の努力をする

お客さんに対していただく対価に対してそれ以上のことをして返す。100%ではなくて120%で返す。そのようなサービスをすることが商売の基本である。
このことは自然の理にかなっていることなのだ。植物は同化をして炭水化物を作り出すが、光は100%利用できない。水もしかり、無機塩類もしかりちょうど100%の効率で成果を生み出すことはできない。それ以上の資源投入して仕事をして100%に見合う量の成果が得られるのだ。
仕事でも同じだ。時間、集中や努力も100%以上出し切ってその対価を得る。100%しか出さない場合は得られるものは100%以下の物でしかないということだ。サービスの対価として受け取る額の120%を相手に返すということを心がけるようにする。このようにしていると商売は上手くいく。当たり前のことだがこれに気付いている人はあまりいないと思う。
楽なことをしてお金を得る行為は自然の理に反するのだ。そんな商売は一時的に成功してもいつまでも成り立ちはしない。
2010年09月27日
お金について

子供は家庭の経済状況に非常に敏感である。贅沢をしている家では子供は自分の家にはお金があると思い。金使いが荒くなり無駄使いをする。逆に貧乏でお金に苦労している家庭に育った子供はとてもお金にシビアとなる。時には子供らしくないほどお金を中心に物を考える子供になってしまうことがある。
大きくなって、贅沢し放題では身の破滅となるし、余りにも守銭奴では人生の意味が失われてしまう。バランスのとれた人間に育つのが望ましいであろう。
金銭感覚はその家庭の生活様式と子供を取り巻く両親を中心とする人から受ける影響がとても大きいということを我々親は肝に銘じておくべきである。
2010年09月23日
バビロンの大富豪Eお金について考える

金には意味があってその意味を十分に理解しないとすぐに逃げてしまう。金は何もしていないところには本来入って来ない。理由もなく転がり込んできた金は理由もなく出ていってしまう。
必死に汗水たらして稼いだ金は大切に使う。大切に使うからまた金が入ってくる。金は大切にする人間のもとにやってくる。
収入を全て使い切って、さらに借金を重ねる生活ではいつまで経っても貧乏から抜け出せない。
「バビロンの大富豪」では貯蓄の大切さとお金を使いこなす知恵を教えている。我々日本人はは小さい時からお金の話をすることは避ける。金儲けの話をすることを避ける傾向がある。しかし、お金に対する正しい姿勢こそが社会に出た時最も大切な事ではないか。仕事の一番の目的はお金を得る事だからこれは当然だ。
2010年09月22日
バビロンの大富豪D−知恵か、金貨か

@黄金はこれを貯蓄する者のもとにやってくる。
A黄金はこれを投資する者のもとで増える。
B黄金はこれを賢者に委ねる者のもとに留まる。
C黄金はこれを不確かな投資に用いる者のもとから去る。
D黄金はこれを一攫千金話につぎ込む者のもとから走り去る。
その後、自分がこれらの法則をことごとく破っていたことを知る。目覚めた彼は事業に成功し、10年後故郷に帰ってくる。彼の帰郷を祝う祝宴で彼は手にした黄金の入った3つの袋をテーブルに置いた。1つは父にもらった金貨のお返し、もう一つは粘土板の知恵のお礼、そしてもう一つの金貨が彼の手元には残ったのである。
そして、彼は次のような教訓を皆の前で披露することになる。
「知恵がなければ金貨はすぐになくなってしまう。しかし、初め金貨をもっていなくても知恵があれば金貨は手にすることが出来る」
2010年09月21日
バビロンの大富豪C−息子『ノマシア』

大富豪となったアルカドは彼の息子であるノマシアには自分で財産を築いて欲しいと思っていた。息子に財産を相続する気はなかったのだ。
息子は成人するとよその土地で生きていく術を身につけなくてはならなかった。息子の門出の祝いとしてアルカドは黄金の入った袋1つと「5つの黄金の法則」を刻んだ粘土板を息子に送った。若い彼はもちろん粘土板にには目もくれなかった。
その後、ノマシアはいかさま競馬でその金貨の大半を失う。そして残りのお金で見知らぬ商人から店を買う。そしてその店もつぶしてしまう。だんだんと落ちぶれていくなか彼は粘土板のことを思いだすのだ。
2010年09月17日
『バビロンの大富豪』B

要するに収入のうちの10%を「使わない分として」貯蓄しておくのだ。どんなに少額でもかまわない。金を稼いだら先ず自分に支払う。支払うといってもこれは消費するのではなくてあくまで「貯蓄」である。このルールを人生の早いうちから身につけておくと知らず知らずのうちに金は増えているというわけである。
貯蓄で金が増えると働き甲斐も生まれ仕事にいっそう精を出すようになる。そして何よりお金を大切に使うようになる。やがてこの貯蓄は利子が利子を生むという循環を創り出す。勝手に増えてくれるお金となっていく。額が大ければ多いほどこの効果は絶大になってくる。一方、借金は全く逆である。もっているだけで利息を生んでいく。働いても働いても一向に暮らしは楽にはならない。いつまでも貧乏のままである。
老人がアルカドに教えたことは今の社会では常識的なことである。しかし、私のようにこの重要性をあまり認識していなかった人間は今も苦労している。若い頃にお金のことを学んでおくことはとても重要だ。
これからでも決して遅くはない。「先ず自分自身に支払う」これを我々も日常生活のルールにしたい。
2010年09月16日
『バビロンの大富豪』A
2010年09月15日
『バビロンの大富豪』@

話のなかにはいくら真面目に働いても楽にならない2人の男が登場する。彼らの生活ぶりは借金をしないで生活するのがやっとといった有様である。
お互いの暮らしぶりについてふたりは語り合うのだが、貧乏から抜け出す妙案はなかなか浮かばない。話しているうちに2人の幼なじみで今はバビロンの大富豪となっているアルカドを思い出す。彼らはアルカドに相談することに決めた。
「どういう幸運で富を手に入れることができたのか?」と二人は尋ねる。しかしアルカドは富は「幸運」ではなく、自分の手で必然的に掴んだ物だという。
アルカド曰く、彼らが貧乏なのは「富を増やす法則」を学ぶことを怠ったか、学んでもそれを実行しなかったからだということであった。
「富を増やす法則」とはどういうものであろうか?アルカドはその法則を捜し求めることになる。
2010年09月08日
時は金なり
金は自分の身を助けてくれる。そのお金を生み出すのは時間である。時間を有効に使った者だけがお金を手にすることができる。時間を人より有効に使えばお金は人より多く入ってくる。
「人生は時間に色をつけていく作業、綺麗な色をつけたものの所にお金が集まる」その時間をどのような色に染めるかは本人の意志次第である。金銭的に成功したければそのような色で人生を染めないといけない。
人は一生懸命働くが時間には無頓着なものが多い。約束の時間に遅れる者は信用を失う。信用を失えば仕事からはじまって色々なものを失う可能性がる。時間厳守は商売のみならず全ての基本である。
自分のために時間を有効に使う事も重要だ。健康を害せば何もできなくて無為な時間を過ごすことになる。日々精進・向上が大切だ!
「20シリングの金と20年の歳月は、いくら使っても使い切ることはないと考えるのは子供と愚か者だけ」(『貧しいリチャードの暦』より)
2010年09月06日
2代目・3代目
たいして美味くもないのに行列を見せられるとついつい並んでしまう。流行っている店では客が客を呼ぶ、代々受け継がれてきたやり方をきちんと守ってさえいれば客は途絶えることはない。こうなれば営業努力も何もいらない。和歌山にもそんな店がいくつもある。2代目3代目である。
こういう店は飲食店に多いが、塾にも存在する。流行らないところは何をやっても流行らない。逆にたいした事をやっていなくても流行っている所もある。客が客を呼ぶのである。要するに口コミである。
同じことをやっているのに客が来ないことは多い。そんな時に何がいいのか考えても全く分からない。
結論はしっかりと客の心を掴み、誠実にやるしかない。一時的に客を集めても流行が過ぎれば閑古鳥が泣いてしまう。熱烈なファンをもった店にしなくてはいけない。他の店と違うところをみせるしかない。努力、忍耐だ。楽して金儲けは絶対できない。