2016年04月08日

広告媒体の変化

最近はホームページからお電話をいただくことが多くなってきましたが、実はこの現象はつい最近のことです。ほんの2年ほど前からだと思います。
3年ほど前に「ホームページを見てお電話しました」という電話をいただいた時のことをよく覚えています。というのはそれまでの電話では「〜の広告を見てお電話しました」あるいは「知り合いからおたくのことを聞いて〜」と始まる電話がほとんどだったからです。その電話をいただいたとき「ほんまにホームページを見て電話くれたんか〜。すごいな〜。そんなことってあるんや。」心の中でそのような感動が沸いたのを覚えています。
僕のホームページは全くの独学で自作です。作成して10数年以上になりますが、徐々に進化していきました。はじめはひどいものでした。作成してどれだけたっても「スパブ」と入れても上位どころかどこにも出てこなかったのを覚えています。心が折れました。
ドメインを変更したり、スタイルシートを作成してWEBの推奨する準拠スタイルに作り直したり、サイトマップを作ったり、上位に検索されるための様々なSEO対策をしたりしてようやく努力が実ってきました。「スパブ」と検索してトップに来た時の感動を今も覚えています。
はじめから業者に作成を依頼していればすぐに効果が出ていたのは確かです。しかしこの試行錯誤で自分のスキルは確実にアップしました。これは今ではかけがえのない大僕のきな財産となっています。
そのようにして8年くらい前からようやく「スパブ」で検索すると上位に出てくるようになりましたが、「知らない人が検索してスパブに興味をもっていただく」ようなレベルには程遠いものでした。最近まではそのような状態でしたからホームページはスパブの名前を知っていてその内容を知るため、あるいは内容を確認する程度の掲示板のようなものでしかありませんでした。少々大袈裟ですが、最近までは知らない人が検索してくれるということは夢にも思っていませんでした。
それがここ2年前くらいから学習塾や予備校を検索する際にも上位に出てくるようになってきたようです。おかげでネットを見るまで全くスパブを知らなかった人からの問い合わせが多くなってきました。本当にようやくです。このような長い道のりがあったので「ホームページを見てお電話しました」と初めて言っていただいたときの感動は忘れられないのです。恐らく人にやってもらっていたらそのような感動は決してなかったと思います。


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2015年09月19日

やめていくパターン

模擬試験が終了し、予備校生はみんなそそくさと帰ってしまいました。スパブは今ひっそりしています。わずかに自習に来た現役生とテストを受けていなかった予備校生が残ってテストを受けているだけです。
今は現役生の授業です。その一人、開智の生徒さんはきちんと連絡して補習で遅れてくることを伝えてくれていましたので心配はなかったのですが、先週も休んで今日も連絡がない生徒さんがいます。心配です。
クラブが非常に忙しい生徒さんです。別の塾からかわってこられた生徒さんなのですが、原因がクラブで遅れるから土曜日に個別で学習できるスパブに来てくれました。
今日試合があったのでしょうか?先週は親御さんが連絡してくれました。
このようにして塾をやめていくパターンが多いのです。「遅刻しがち→休みがち→休みの連絡なし」これが典型的なパターンなのです。
今回はこちらに非があるわけではないので、あれこれと悩んでも仕方がありませんが、それでも気持ちのいいものではありませんね。
きっちり仕事をして週末を迎えるのは気持ちがいいものですが、授業が休みになって週末に入るのは喜べないですね。
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2015年09月09日

「何でも屋」

「5年前にやっていたことを考えてごらん。それが今の姿を映しているのです」ふと本で読んだ一節を思い出しました。今きちんと準備をしておかないと5年後の変化についていけません。
5年後には今までにない大きな大学入試改革が待っています。学習塾に求められるものも大きく変っていきます。入試では人物重視の試験も多く導入されそうです。したがって小論文や面接といった選考方法で入試が行われることが多くなります。さらに理科や数学、社会、英語、国語力を見る課題解決型の総合問題が重視されるようです。こういうことを考えると今までの塾のあり方も大きく変っていくことは必然です。
スパブのように一人で色々な科目を指導していると色々と批判めいたことも言われますが、今後は様々な事柄について精通していないと不利になっていくような時代が来ます。何かに特化することもよいことかもしれませんが、色々な科目をできるということも大きな武器となる時代が必ずやってくると信じています。今までやってきたことが将来、報われればといいと切に願っております。「何でも屋」と言われても、自分の信じる道を固く生きていこうと思っています。
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2011年07月16日

塾のあるべき姿

7月も後半に突入しつつある。現役生もクラブの引退時期となって本格的に勉強しなくてはという意識が湧いてくる時期である。今年はこの時期に問い合わせがあった。
良い出会いがあればと願いつつ、日々授業を必死に頑張っている。当たり前のことだが、この商売は生徒の満足が得られるようにやっていくしかない。見返りは後からついてくるものである。先ずは生徒の満足、成績を上げることである。やがてこれがクチコミとなってまた新たな集客につながる。これはどんなに広告にお金をかけるよりも大きな効果が得られるものである。クチコミで集客出来るようになれば一人前の店に成長したことになる。
地道に生徒の満足を追い求めるしかないのである。「楽をしようとか楽に儲けよう」と思った瞬間に塾は傾いていく。これを肝に銘じて頑張るしかない。絶対にそれしかないのだ!

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2011年05月24日

120%の努力をする

DA094_L.jpg「思考は現実化する」のなかにある「プラスアルファの努力をする」ことの大切さがしみじみと分かってきた。
お客さんに対していただく対価に対してそれ以上のことをして返す。100%ではなくて120%で返す。そのようなサービスをすることが商売の基本である。
このことは自然の理にかなっていることなのだ。植物は同化をして炭水化物を作り出すが、光は100%利用できない。水もしかり、無機塩類もしかりちょうど100%の効率で成果を生み出すことはできない。それ以上の資源投入して仕事をして100%に見合う量の成果が得られるのだ。
仕事でも同じだ。時間、集中や努力も100%以上出し切ってその対価を得る。100%しか出さない場合は得られるものは100%以下の物でしかないということだ。サービスの対価として受け取る額の120%を相手に返すということを心がけるようにする。このようにしていると商売は上手くいく。当たり前のことだがこれに気付いている人はあまりいないと思う。
楽なことをしてお金を得る行為は自然の理に反するのだ。そんな商売は一時的に成功してもいつまでも成り立ちはしない。
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2010年09月27日

お金について

我々は小さい時からあまりお金についての教育は受けない。学校で教わることはちょっとした経済の原理や原則である。専らお金の教育は家庭で日常の生活を通して行われるだけである。従って、家庭での役割は大きい。CL058_L.jpg
子供は家庭の経済状況に非常に敏感である。贅沢をしている家では子供は自分の家にはお金があると思い。金使いが荒くなり無駄使いをする。逆に貧乏でお金に苦労している家庭に育った子供はとてもお金にシビアとなる。時には子供らしくないほどお金を中心に物を考える子供になってしまうことがある。
大きくなって、贅沢し放題では身の破滅となるし、余りにも守銭奴では人生の意味が失われてしまう。バランスのとれた人間に育つのが望ましいであろう。
金銭感覚はその家庭の生活様式と子供を取り巻く両親を中心とする人から受ける影響がとても大きいということを我々親は肝に銘じておくべきである。


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2010年09月23日

バビロンの大富豪Eお金について考える

悪銭身につかずという。バクチで儲けたり、宝くじで当たった金はすぐになくなってしまう。そして人間がダメになってしまう事も多い。そこには稼いだ過程がないからだ。あぶく銭はなくなる時も一瞬でなくなってしまう。相続した金もその有り難さが分からなければすぐに使い果たしてしまう。CH024_L.jpg
金には意味があってその意味を十分に理解しないとすぐに逃げてしまう。金は何もしていないところには本来入って来ない。理由もなく転がり込んできた金は理由もなく出ていってしまう。
必死に汗水たらして稼いだ金は大切に使う。大切に使うからまた金が入ってくる。金は大切にする人間のもとにやってくる。
収入を全て使い切って、さらに借金を重ねる生活ではいつまで経っても貧乏から抜け出せない。
「バビロンの大富豪」では貯蓄の大切さとお金を使いこなす知恵を教えている。我々日本人はは小さい時からお金の話をすることは避ける。金儲けの話をすることを避ける傾向がある。しかし、お金に対する正しい姿勢こそが社会に出た時最も大切な事ではないか。仕事の一番の目的はお金を得る事だからこれは当然だ。

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2010年09月22日

バビロンの大富豪D−知恵か、金貨か

粘土板にはこう記してあった。SG116_L.jpg
@黄金はこれを貯蓄する者のもとにやってくる。
A黄金はこれを投資する者のもとで増える。
B黄金はこれを賢者に委ねる者のもとに留まる。
C黄金はこれを不確かな投資に用いる者のもとから去る。
D黄金はこれを一攫千金話につぎ込む者のもとから走り去る。
その後、自分がこれらの法則をことごとく破っていたことを知る。目覚めた彼は事業に成功し、10年後故郷に帰ってくる。彼の帰郷を祝う祝宴で彼は手にした黄金の入った3つの袋をテーブルに置いた。1つは父にもらった金貨のお返し、もう一つは粘土板の知恵のお礼、そしてもう一つの金貨が彼の手元には残ったのである。
そして、彼は次のような教訓を皆の前で披露することになる。
「知恵がなければ金貨はすぐになくなってしまう。しかし、初め金貨をもっていなくても知恵があれば金貨は手にすることが出来る」

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2010年09月21日

バビロンの大富豪C−息子『ノマシア』

『バビロンの大富豪(ジョージ・クレイソン)』はバビロンの繁栄をヒントに書かれた富を築くための永遠不変の原理を記した寓話である。SA065_L.jpg
大富豪となったアルカドは彼の息子であるノマシアには自分で財産を築いて欲しいと思っていた。息子に財産を相続する気はなかったのだ。
息子は成人するとよその土地で生きていく術を身につけなくてはならなかった。息子の門出の祝いとしてアルカドは黄金の入った袋1つと「5つの黄金の法則」を刻んだ粘土板を息子に送った。若い彼はもちろん粘土板にには目もくれなかった。
その後、ノマシアはいかさま競馬でその金貨の大半を失う。そして残りのお金で見知らぬ商人から店を買う。そしてその店もつぶしてしまう。だんだんと落ちぶれていくなか彼は粘土板のことを思いだすのだ。







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2010年09月17日

『バビロンの大富豪』B

CH099_L.jpg彼が先ずアルカドに教えたのは「先ず自分自身に支払う」ということであった。
要するに収入のうちの10%を「使わない分として」貯蓄しておくのだ。どんなに少額でもかまわない。金を稼いだら先ず自分に支払う。支払うといってもこれは消費するのではなくてあくまで「貯蓄」である。このルールを人生の早いうちから身につけておくと知らず知らずのうちに金は増えているというわけである。
貯蓄で金が増えると働き甲斐も生まれ仕事にいっそう精を出すようになる。そして何よりお金を大切に使うようになる。やがてこの貯蓄は利子が利子を生むという循環を創り出す。勝手に増えてくれるお金となっていく。額が大ければ多いほどこの効果は絶大になってくる。一方、借金は全く逆である。もっているだけで利息を生んでいく。働いても働いても一向に暮らしは楽にはならない。いつまでも貧乏のままである。
老人がアルカドに教えたことは今の社会では常識的なことである。しかし、私のようにこの重要性をあまり認識していなかった人間は今も苦労している。若い頃にお金のことを学んでおくことはとても重要だ。
これからでも決して遅くはない。「先ず自分自身に支払う」これを我々も日常生活のルールにしたい。

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2010年09月16日

『バビロンの大富豪』A

EB095_L.jpgアルカドは小さい頃から自分は貧乏人の境遇で終わる運勢をもった人間ではないといつも考えていた。そうは言っても彼には遺産の当てはなかった。富を得るには自分で懸命に働き学ぶしかなかった。
彼は筆記者として粘土板に法律の文書を書き刻むという長くて根気のいる仕事に就いていた。ある日特別に骨のおれる仕事を依頼して来た金貸しの老人にそれを徹夜で仕上げる見返りとして金儲けの秘訣を教えてくれるように頼んだ。老人は承諾した。

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2010年09月15日

『バビロンの大富豪』@

『バビロンの大富豪(ジョージ・クレイソン)』はバビロンの繁栄をヒントに書かれた富を築くための永遠不変の原理を記した寓話である。EB120_L.jpg
話のなかにはいくら真面目に働いても楽にならない2人の男が登場する。彼らの生活ぶりは借金をしないで生活するのがやっとといった有様である。
お互いの暮らしぶりについてふたりは語り合うのだが、貧乏から抜け出す妙案はなかなか浮かばない。話しているうちに2人の幼なじみで今はバビロンの大富豪となっているアルカドを思い出す。彼らはアルカドに相談することに決めた。
「どういう幸運で富を手に入れることができたのか?」と二人は尋ねる。しかしアルカドは富は「幸運」ではなく、自分の手で必然的に掴んだ物だという。
アルカド曰く、彼らが貧乏なのは「富を増やす法則」を学ぶことを怠ったか、学んでもそれを実行しなかったからだということであった。
「富を増やす法則」とはどういうものであろうか?アルカドはその法則を捜し求めることになる。

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2010年09月08日

時は金なり

時間は金と同じ位に、時にはそれ以上に大切である。
金は自分の身を助けてくれる。そのお金を生み出すのは時間である。時間を有効に使った者だけがお金を手にすることができる。時間を人より有効に使えばお金は人より多く入ってくる。
「人生は時間に色をつけていく作業、綺麗な色をつけたものの所にお金が集まる」その時間をどのような色に染めるかは本人の意志次第である。金銭的に成功したければそのような色で人生を染めないといけない。
人は一生懸命働くが時間には無頓着なものが多い。約束の時間に遅れる者は信用を失う。信用を失えば仕事からはじまって色々なものを失う可能性がる。時間厳守は商売のみならず全ての基本である。
自分のために時間を有効に使う事も重要だ。健康を害せば何もできなくて無為な時間を過ごすことになる。日々精進・向上が大切だ!
「20シリングの金と20年の歳月は、いくら使っても使い切ることはないと考えるのは子供と愚か者だけ」(『貧しいリチャードの暦』より)
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2010年09月06日

2代目・3代目

商売は客がついてしまうと真面目にやってさえいればなんとかやっていける。
たいして美味くもないのに行列を見せられるとついつい並んでしまう。流行っている店では客が客を呼ぶ、代々受け継がれてきたやり方をきちんと守ってさえいれば客は途絶えることはない。こうなれば営業努力も何もいらない。和歌山にもそんな店がいくつもある。2代目3代目である。
こういう店は飲食店に多いが、塾にも存在する。流行らないところは何をやっても流行らない。逆にたいした事をやっていなくても流行っている所もある。客が客を呼ぶのである。要するに口コミである。
同じことをやっているのに客が来ないことは多い。そんな時に何がいいのか考えても全く分からない。
結論はしっかりと客の心を掴み、誠実にやるしかない。一時的に客を集めても流行が過ぎれば閑古鳥が泣いてしまう。熱烈なファンをもった店にしなくてはいけない。他の店と違うところをみせるしかない。努力、忍耐だ。楽して金儲けは絶対できない。
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